「信」と「知」


思想の展開というのは、実は当の書き手でさえよくわかってない。
でも前提と結論だけは「信」の処に在るにはある。
つまり展開とは「信」を「知」に成すべく展開され得る可能性を叙することなんだろうな。
  
なに?
じゃ、展開って後付けだからあんまし意味ない?んなことはない。
 書きたい欲求は、書きながら考えることじゃ。
もちろんプッツンして途中止めになることもあるけど、それこそ本人には大いに意味があること。
 僕らは出来上がったようなものに接するしかない。
 仕方なかろ。
  
 例えば。


「神の存在」


これ


「神は在る」
 だから
「世界は調和する」
  
これは「信」だ。
  
だから。だから になるものでカッコよく気持ちよくつないでこそ「信」が溶けて胸に沁みる。そうなって初めて「知」になって思考の素になってゆく。
  
こういうことは哲学も小説文学もあんまし変わらない。