三百です(笑)。俳句 古典和歌 近代短歌 百づつです。
あっというまに読破(笑)。隙間の時間で数百年分の俳句短歌を堪能できます。
もちろん文庫だからかさばらないよ。
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カリフォルニアからの30歳ほどの美青年ご来店。
備前のゴマ(味噌が垂れているような黄土色のもの)は日本人独特の美意識だというので、「庭の苔みたいなもんだね。」と答えた。
それをとても喜んでくれて
「キリスト教の教会の敷地にはコケどころか木さえもない。コケなんてものは取り去って綺麗にするというもんだが、日本の寺ではコケを綺麗に手入れする(キープ モス クリーン。)。これは凄いことだ」という。
そこで、苔は森や山のスピリットだからむやみに取っ払うのはダメなんだよ、といっておいた。
そういう流れで宗教の話になった。
彼が、キリスト教は神を讃える、ところが日本人は神さんを讃えるということはないみたいだと言う。
その通り、日本人は神さんとの関係(リレーション)を良好に保つことを宗教的行為としているんだよ。つまり神棚や座敷を清潔にして生花で飾ったりそこで静かにかつ注意深く暮らすことが信仰といえば信仰の形になるんだわ。そうしたら「ほどよい神さん」がお出でになって、仲良く暮らせる。と答えた。
どんな神でもいいのか?と聞くので、だから「ほどよい神さん」でカマヘンのだよ。神さんにいいも悪いもない、つかそれなりの神さんがおられる、んでどんな神さんでも多分人の心を自由にしてくれる。フリーダムじゃなくてリラックスじゃな。その症状みたいなものも人それぞれ、そんでええの。
全然納得できないというので、「誰かが奇行他人迷惑なことをするようになったら悪さが祟って悪い神さんに障られたかな?ホタラ触らんとこうと感じるし、ええ人が穏やかに暮らしていたらええ神さんがそのお家におられるんだろうって感じる。これわかる?」やっぱりワカランという。で、今度は、世界創造神話はあるのか?と質問された。で、「無い。興味も無い。」と答えた。「世界は全能の神が創造したとしないとダメだろう」というので、「そりゃ神さんが創られたんだろうけど別にどの神さんがどんな風に創ったとしてもカマヘンのよ。」。なんとも言えない顔をされた。
結局、違う宗教の全能者を意識してるから自分の神の全能スキルに無条件にしがみつく。日本人はそんなアホクセエことは気にしないのさ。ま、そこまでは言わなかったけど。
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上記のスレに「神を選択している神道を否定しているのか?」とマジレスを頂いた。
どういうセンシティブな意図があるのかはわからないが、地域 集団固有の「主神」の信仰とは違う単神教者からの批難と受け止めた。
返答は簡単だった。
スサノオでさえアマテラスに負けるでしょう。喧嘩になればですけど。
だからといってどうと言うことはないです。それを考える人はそれでもいいです。
ただ触った人の障り次第でどうにでもなるし、それをも他人が干渉しないのが神道です。
と応えておいた。
世界創造神話が欲しくて作ったような神道宗教を知ってはいるし、まあ、キリスト教を横滑り的に入れて来たんだろうとは思うけど彼らの信仰行為も僕のシンプルな神棚神社神道とさほど変わらないのだ。ただ、彼らにはアマテラスもスサノオも小粒小者です。どうでもいいですけど。
誰がどんな神さんが好きでも構いません。神さん同士をケンカさせてるのならそりゃその人はバチアタリですけどそれはそれでその人にはそれ相応の神さんが取り憑きますわ。
その人の神さんの選り好みにかかわらずです。